松野恵介の幼少期

京都市中京区で生まれたのは、1971年1月1日午前0時25分。

大晦日生まれか?元旦生まれか?をさまよってたらしいんですけど、
無事(?)元旦に生まれたんです。
元旦生まれは社長が多いとか?元旦生まれは大物が多いとか?
たぶん、ただの迷信ですね(笑)

どちらにしても「忙しいときに生まれてきたな~」と両親から今でも言われるんですよね。
それは両親のせいだろって思ってたのですが、最近は「親を選んで生まれてきた」と思えるので、やっぱり僕のせいになるんだと。「忙しいときに生まれてきてごめんなさい」

予定日より30日も早い出産だったようで、未熟児寸前の2550gだった。
小さく生んで、大きく育てる(体だけね)。うちの母親はたいしたものだ。

京都生まれの京都育ち。親戚一同みな商売人という環境で育っていくことになるんですね。ホントにね、サラリーマンは一人もいないんです。ちなみに僕の両親は喫茶店を経営しています。叔父さんは、貿易会社を経営していたり、工務店、焼き鳥屋さん、お茶屋さん、電気工事の会社などなど。

matsuno06だから、もの心ついたときから思ってました。
「いつかは自分の力で稼ぐんだ」と。

でもね、幼少時代は極端な人見知りだったんです。

うちは京都でも田舎のほうなので、ご近所がほとんど親戚みたいなもの。その近所の人に「おはようございます」の挨拶ひとつもできなかったんです。

照れくさかったんだろうな~
とにかく、人見知りが激しかったですね。

幼稚園とかも、夏休みの後とか大変だった。夏休み明けの初日。僕は祖母のスカートを持って、幼稚園バスに乗るのを必死で抵抗して先生も、祖母も困らせてたな~友達も少なかったしね(笑)

とにかく家が好きだった。
長男で可愛がって育てられたから、家にいると安心だった。ま、でもそれなりに幼稚園、小学校とすごして、こんな引っ込み思案な性格だったけど、いじめられることもなく平凡に過ごしてた。

僕が大きく変わったのが小学校3年生の時、
少年野球を始めてから。その頃から体が大きくなりだして、キャッチャーをやりながら皆に指示を出すようになっていった。

小学校3年と4年は野球に没頭して、5年生からは自分から進学塾にいくようになったんですよね。今思うと、なんでいきたいと思ったのかもわからない。

でも、一生のうちで、この2年間が一番勉強したと思う。

matsuno07進学塾の入学試験での知能指数は148点。
模擬試験では、全国で100番以内に入ることも多かったんですよ~
いや~よく勉強したな~「鶴亀算」とかね。

でもね、中学入試には失敗。
ランクを下げて受けた中学だったんですけどね、不合格。
必ずいけると思ったんですけどね。
家族一同落ち込みました、はい。

で、地元の公立中学へいくことになるんですね。

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